それは、誰かの希望となる写真

武蔵野美術大学

それは、誰かの希望となる写真

PEOPLEこの人に取材しました!

ハービー・山口さん 

写真家・エッセイスト

生まれた時から大病を患い、辛い幼少期を過ごしたというハービー・山口さん。病気が治ってからは写真部に入部し、大学卒業後に渡英。ロンドンの劇団に加入してはヨーロッパツアーに出演したり、帰国後は10年かけて東京から北海道に行ったりと、様々な場所でたくさんの人たちと触れ合ってきた。写真家としては、福山雅治や尾崎豊などの著名なアーティストだけではなく、ダイアナ妃や市井の人々のスナップ・ポートレイトも手がける。その他に、エッセイストやラジオパーソナリティ、役者としての顔も持つ。
「希望」をテーマに写真を撮るハービー・山口さんの、眩しいほどの前向きな感情や、謙虚な姿勢がどこからくるのか、お話を伺った。

「ハービー・山口」の誕生

生まれて間もなく腰椎カリエスっていう結核性の病気でね。腰椎の一番下と骨盤の間がぐしゃって潰れて、壊死する病気なんです。コルセットを10年くらいしてたかね、上半身全部。で、体育の授業が一切できない子どもだったの。

友達もいないしね、すごく寂しかった。18くらいの時にお医者さんから「だいぶ治ったよ」って言われるまではすごく辛い青春時代だった。治って「もう普通に暮らせんじゃない?」って言われた時に生きる希望を初めて感じた。カメラがそばにあって、写真部にも入っていたので、生きる希望をテーマにしようと思ったの。それが10代の終わり。

10代の終わりに大学で4年間過ごすんですけど、生まれた東京大田区の近所の仲間とバンドをやってね。音楽好きで、中学でブラスバンドに入っていた時、フルートやっていたんです。そのフルートをもう1回引っ張り出してきて、バンドに参加しました。そこでハービーっていうあだ名がついたの。ハービー・マンっていう僕が好きなフルーティストがいて、それでハービー。そのちょっと前に「あなた病気治ったよ」って言われて、希望を感じていた時だったから、「あ、これからハービー・山口って名前で全く新しい自分になって生きてみよう」と思ったんです。本名はもちろんあるよね。それは病気でいじめられて、孤独で、希望も何もない子どもの、10代の半ばまで。その人生をもう引きずらないで忘れちゃおうと。「ハービー・山口」って、名前まで変えちゃって新しい人生生きてみようということで、10代の終わりにハービー・山口ってのが誕生したわけだ。

「20歳のポートレイト 東京 1970」 ©︎ハービー・山口

「青山通りのジグザグデモ 東京 1970」 ©︎ハービー・山口

新しい名前と新しい場所

就職試験受けたんだけど、履歴書に「既往症」って治った病気を書くって欄があるんだよ。その既往症ってとこに「0歳から16歳まで腰椎カリエス」って書いたら、まず大きな会社が受からしてくれないんです。で、全滅だったの、就職。それじゃあんまり就職焦ることもないってことで、好きな音楽があるロンドンに行ったら全然違う世界だった。日本の青春時代って、いじめられて孤独で。それが向こう行ったら僕の過去を知っている人いないから偏見もないし、自分も新しいハービー・山口って名前だしで、過去、病人だったっていうのは忘れて…。そしたら結構ハマっちゃった。

個人だからビザ取るのは大変でね。日本人のミュージシャンの劇団に入っていた時はそこでちょっと延ばしてくれたり、知り合いのバンドのマネージャーが事務所の名前で「ミスター山口がうちのカメラマンだからちょっと1年ビザ延ばしてくれ」とか。そういう証明書を送って1年延び、2年延びってしてたら8年になった。観光ビザが半年で切れるって言うから、半年後には帰ってくるつもりが、結局ビザを延ばし延ばしで、最初の8年半一度も帰ってきてない。で、ちらっと仕事で日本に帰ってきてまた戻って、1、2年いたから都合10年近くいたってことかな?

「ヴィヴィアン・ウエストウッド ロンドン 1983」 ©︎ハービー・山口

「街のパンクス ロンドン 1984」 ©︎ハービー・山口

でも、やっぱり当時、もう40年も前の話ですけど、日本のこと誰も知らないですよ。「お寿司」と言ったって誰も知らない。 今でこそ寿司はどこ行ってもあると思うけど。東アジア一帯がごちゃごちゃに認識されていて「どこにあんの?日本」って。「アフリカのどっか端っこにあるんだっけ?」とか。「アジアの先です」と言っても「そんなとこ地球にあるんですか?」ぐらいだった。「Far east」って言葉があるんだよ。「東のさらに先、ど田舎」って意味だよね。白人からすれば、「超田舎人」と、いう認識しかないの。

という時代だったから、辛いことはありましたよ。人間として見られてないようなね。どこかで食事しても平気で他の人を優先しちゃうとか。レストラン行っても、他にテーブルが空いているのに、わざとトイレの匂いがするような一番トイレに近いとこ通されたり、席を案内されたら隣の人たちが「こんなアジア人の近くにいたくないからお前ら他のテーブル行け」とか言われたり、もう屈辱ですよ。 40年経って、アニメとか音楽、いろんな日本の文化が向こうに行った。そういうので徐々に、徐々に日本への理解っていうのができたんだろうな。

思いやる想像力はドン底での経験から

だから従って、見知らぬ有名人に会って親切にしてくれたら、それが超嬉しいわけだ。「アジア人」なんて言って無視する人も多い中、偏見もなく、一般の人でも撮らせてくれたり、優しい顔を見せてくれたりする子どもたちに出会えると、それはもう嬉しいし、すごく感謝した。 僕も素直だから写真を撮って感謝されると、その人たちを尊敬して「ありがとう」って気持ちで大切に撮ろうと思うし、それが写真にも現れるよね。

それは昔病気して、最低の人間で、夢も希望もないし、体育もできないし、最低の立場も知っているから。だけど、優等生しか知らなかった場合は、へりくだることも知らない。みんな周りの人がやってくれたんだ、っていう人はそんな些細なことに気がつかないじゃん。両方を経験しているってこともまた大事なの。

「オータム サンシャイン ブライトン 1973」 ©︎ハービー・山口

「地下鉄のジョー・ストラマー ロンドン 1981」 ©︎ハービー・山口

演劇でヨーロッパツアーやっていた時は、その度に地元の新聞社の人が僕たちのことを撮っていた。撮られていたわけだよね。で、僕は今舞台に立っている人を撮っている。

例えば満員電車で隣の人の靴を何かの拍子に踏んでしまったと仮定して、踏まれた人の痛さが理解できれば、すぐに謝れるじゃないですか。自分と逆の立場の人間の心をちゃんと理解することが大切なんです。そしたらいじめないじゃないですか。「大変なこと俺やっちゃった」って自分がやられた時に分かるわけ。人間、浅はかだからやられた時に初めて分かる。

やっぱ笑顔っていうのが潤滑油みたいなもんでさ。知らない同士が5分後に「ワハハ」って笑い合えたらそんなにハッピーなことはないよね。ニコリともしないっていうのもなんか息が詰まるようだし。人と人、礼儀の1つに、笑顔で「どうも」って少しでも挨拶が交わせたら随分心が広がるし、心、落ち着くんだろうけどね。

お金よりも、名声よりも、価値のあるもの

僕は幸い、写真以外でもラジオのレギュラー番組を担当したり、エッセイ集の出版、ギタリストの布袋寅泰さんのアルバムには数曲作詞をさせて頂いたりとか、幅広いチャンスをもらえたのは幸運でしたね。自分だけの快感、自分だけのお金が儲かったっていうんじゃ虚しい、お金は天国には持っていけないし。

すごくいい仕事で100万円貰うってよりかは、人の役に立つことに繋がったっていうのがまた自分に満足感を与えてくれるの。感想文ノートでそういうのが書いてあると本当に写真やっててよかったって思うんだよね。「あたしいつもリストカットしてる、でもハービーさんの写真展に来て、いい人の写真見て、あたしもいつかこういう人々に会ってみたいなって、希望があるんだったらもうリストカットはしないよ」っていうような書き込みもあるわけよ。その人の命を救ったわけじゃん。自分がいくら儲けたなんて次元じゃないよね、「ああよかった、写真やっててよかった」って。

昔は写真を撮って僕は孤独から救われたこともあったけど、何十年もやっていて人を救うようになったんだな、知らず知らずのうちに人を救えていたんだな、って。僕も76年生きてきて、たまに印象に残る映画とか小説とか、清く正しく生きていこうと思う作品もあるけど、今大切なのは、本来人間が持っている優しさを取り戻そうとか、そういう力を持った作品かも知れませんね。

理性を持った「人間」という生き物だから

個人の主張をする作品もあるだろうけど、それはますます今の世の中を分断してしまう。ちょっと譲り合って、大人になって、他人と摩擦を起こさないように大人しく生きて、、、そんな躍起になんなくてもいいんじゃないって思える余裕があるといいんだけど。

まあ、解決策が分からないから人間は混迷している。国連がどうのとか、離脱だなんだで常に問題が人間社会にはあるから、人間自体まだ幼いんだと思う。精神年齢が5、6歳くらいの子どもがおもちゃ奪い合っているっていう感じなんじゃないかな。人間、動物同士じゃないからね。野生動物にはナワバリ争いってのがあるけど、人間は話す言語も発達しているし、理性もあるし、あんまりガチガチにやらなくても、もっと話し合いの余地があると思うけど…。

人間は、他人に接触するのが難しいと思いつついろんな友達ができたらいいなってどこかでは思っているわけよ。変なやつに会ってなんか盗まれたり、友達のふりして隙見せたらお金取られちゃうのはまずいけど、みんなとうまく楽しくできたらいいなとはどこかで思っている。だから僕は日本でも、笑顔を失わないことと、謙虚で礼儀を守ることで「私はあなたの敵じゃないですよ。ちょっと1枚写真撮る時、踏み込ませてください」っていう気持ちがある。

この前、たった二泊ですけどドイツにトークショーしに行ったんです。ステージに西洋の方々と四人で上がって、司会者が質問したりもする。で、僕は、人の幸せを祈ってる、地球の安泰を祈ってシャッター切ってます、とかってトークショーで喋ったら、途中拍手が起こっていましたね。ドイツのほうが今陸続きだから分断感じるし、隣の隣に行ったらもうウクライナですから。地球の全てを、安定も含めて個人の幸せを祈りつつなんて言ったのが余計響いたのかな。違う人種に、違う世代もいたし、若い人も僕より年上の人もいたけど、人種が違っても通じ合えたっていうのはすごく嬉しかった。まだ可能性があるというか。だから、まだ希望を絶やさないで欲しいけどね。

「コロナ禍の街 東京 2020」 ©︎ハービー・山口

「壁の中の青春 パレスティナ 2013」 ©︎ハービー・山口

(インタビュー:2026年6月)

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