借り物ではない表現を求めて

武蔵野美術大学

借り物ではない表現を求めて

PEOPLEこの人に取材しました!

山口 晃さん 

画家

日本の伝統的な絵画様式と西洋の油絵技法を融合させた作風が特徴の画家・山口晃さんに、「日本と西洋」「過去と現代」など異なる国や時代を作品内で「共生」させる理由や、現在の作風が確立されるまでの過程についてお聞きしました。高校時代に受けた衝撃や、自分の「根っこ」と向き合いながら現在の作品を築いていった過程についてもお伺いしました。
top画像:『深山寺参詣圖』、カンヴァスに油彩、1994(卒業制作)撮影:宮島径
所蔵:群馬県立館林美術館
©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery
〈プロフィール〉
1969 東京都生まれ、群馬県桐生市育ち
1994 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
1996 同大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了

根っこのある絵を描きたくて

Q:油絵で⽇本的な要素の絵を描き始めたきっかけは何ですか

これは高校生の頃まで遡るんですが、教科書で中村光夫という批評家の「移動の時代」という文章を読んだことがきっかけです。そこでは、日本は海外の技術を取り入れ、仕組みを理解し、それを自分たちのものにしてきた。その「移動」という方法が文化全体にも広がったのではないか、ということが書かれていました。例えば美術なら、西洋で印象派やシュルレアリスムが生まれると、その表現だけが日本へ移ってくる。でも、本来それらは、その土地で積み重ねられてきた問いから生まれたものなんです。ところが日本では、その根っこの部分ではなく、表層だけが移動しているんじゃないか。その話を読んだ高校生の私は、すごく衝撃を受けました。『スター・ウォーズ』が流行ると日本のアニメにも似た表現が出てきたり、音楽でも海外で新しい表現が生まれると日本でも似たものが出てきたりする。もちろん面白いんですが、元があるな、という感覚がどこかに残るんです。だから、自分たちで生み出す力が弱くなっているんじゃないか、表層だけを取り入れるのではない美術をやるにはどうしたらいいんだろう、と考えるようになりました。

そうは言っても、入ったのが油絵科なんですよ。でも油絵を学ぶことで、西洋美術がどういう歴史の中から生まれてきたのかが見えてきました。多摩美術大学当時、課題が出るたびに古典様式や印象派、キュビスムなど、様式を変えて描いていました。西洋美術の歴史を自分の中でたどり、その発生原理を理解した上で、日本とぶつけてみようと思ったんです。東京藝術大学へ入った頃には、日本と西洋を堂々とかち合わせて、あるべき油絵を描いてやろうと本気で思っていました。この頃は鼻息が荒かったですね。「時代が変わっちゃうよ」くらいに思っていました。でも、現実は全然違いました。日本の古典を知っているつもりでしたが、実は何も知らなかったんです。当時は日本的なものを描いているつもりでしたが、日本らしい記号を借りていただけでした。東洋の線にも惹かれて見よう見まねで描いてみましたが、それもやっぱり借り物でした。一生懸命描いても、だんだん何も出てこなくなり、三年生になる頃には完全に行き詰まりました。でも、学校では描けないのに、家へ帰ると落書きだけは描けました。これはなんだろうと思ったとき、初めて気がつきました。学校で探していた「根っこ」は、そもそも今描いているものにはなかったんです。私のつながっていると思っていた⽇本は⽇本につながっていなくて、本当につながっていたのは⽇本の⼤衆⽂化だったんです。

*山口さんは、最初、多摩美術大学に入学したが、その後、退学し、東京藝術大学に入学した。

山口さんが大学1.2年生の時に描いた日本と西洋を融合させた作品 (左)『洞穴の頼朝』、カンヴァスに油彩、1990 (右)『落馬』、カンヴァスに油彩、1991、2つとも 撮影:長塚秀人 ©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

本当の「根っこ」とつながる

Q:本当につながっていた大衆文化とは?

漫画と言いたいところなんですが、漫画は買わなきゃいけないので、子どもの頃はテレビをつければ見られるアニメの方をよく見ていました。それから、母が保母だったこともあって、家には絵本がたくさんありました。長新太や加古里子など、今振り返ると漫画よりも絵本から受けた影響の方が大きかったかもしれません。アニメでは松本零士が好きでした。『宇宙戦艦ヤマト』のように、メカや舞台設定がしっかり考えられた作品に惹かれていました。日本のサブカルチャー黎明期当時のアニメや特撮には、美大出身の人が多く関わっていまして『アルプスの少女ハイジ』のキャラクターデザインを手がけた小田部羊一さんもその一人です。子ども向けだからと手を抜くのではなく、「子ども向けだからこそ一番いいものを作る」という姿勢が、作品から伝わってきて、知らないうちに、造形の考え方や構造の面白さが自分の中に入ってきて、ただアニメなどに登場するメカの外側の形を描くのではなく、「どういう構造でできていて、どう動くのか」を考えながら描くことが好きでこれが⾃分の根っこにあるものだと思いました。

Q:現在の作風になるまでに葛藤はありましたか。

地元の絵の先生に毎年年賀状を送りあっていて、『大師橋圖畫』の元になるアイデアの絵なども送っていました。でも、その作品を大学の講評会に出すことには強い恐怖がありました。当時は、「大学ではこういう作品を作るべきで、こういう作品は出してはいけない」と、自分の中で勝手に線引きをしてしまっていました。家で自由に描く空想の絵は趣味の世界であり、大学で発表する作品とは別のものだと思い込んでいました。その考え方には、予備校時代の経験が大きく影響しています。人物デッサンを描いたとき、背景に赤い月を描いたことがありました。すると先生から「こういうものはデッサンができるようになってから描こう」と優しく言われ、その言葉を「こういう表現は人前に出してはいけない」という意味だと受け取ってしまいました。当時はその真意が分からず、自分の好きな表現を封印してしまいました。やがて落書きのように自由に描いていたものまで遠ざけ、自分の根っことつながる表現を自ら閉ざしてしまいました。

その後も大学には厳しい空気があり、本当に描きたい作品を発表することには大きな不安がありました。それでも、「これをやらなければ自分の根っことつながらない」と考え、思い切って講評会へ作品を出しました。すると先生方は作品の中にある「嘘のなさ」や「根っこの深さ」を感じてくれて受け止めてくれました。本当に救われた思いでした。この経験が現在の制作につながるきっかけになったと思います。 

『大師橋圖畫』、紙にペン、油彩、1992 撮影:長塚秀人
©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

自分らしい表現を形にするまで

Q.自分らしい表現を見つけたあと、それをどのように作品として形にしていったのでしょうか。

「自分がやりたいことをどうすれば作品として成立させられるのか」を考えるようになりました。その中で、日本の古典美術を学び始めました。ただ知識として理解するのではなく、「なぜ雲はあんなに低い位置に描かれているのか」「なぜ線遠近法を使わないのか」「なぜ影が描かれていないのか」といった違和感を感じる所に積極的にアプローチしてゆきました。すぐに答えを出そうとはせず、まずは実際に描いてみることを繰り返しました。描きながら感覚を確かめ、その表現が生み出す空間や考え方を理解しようとしていました。そうした試行錯誤を続ける中で、日本の絵画は目の前の景色をそのまま描いているのではなく、一度自分の中に取り込み、咀嚼したものを再構成して表現しているのだと気づきました。また、線遠近法ではなく平面的なレイヤーを重ねて空間をつくることや、自然に見える色ではなく、絵が求める所に色を置くという考え方にも強く惹かれました。見たものを一度自分の中で整理し、再構成して描くという考え方にも影響を受けました。その経験を通して、やりたいことに無理に合わせるのではなく、まず自分の内側から生まれているものを大切にし、それをどのように作品として成立させるかを考えるようになりました。そうして試行錯誤を積み重ねることで、自らの欲動が少しずつ形になり、現在の制作スタイルが築かれていきました。

Q.現在と過去の人を一緒に描こうとしたきっかけは何ですか?

これはきっかけがはっきりとしてまして、大学院で指導教官だった田口安男先生に、『大師橋圖畫』を見せた時に、「こんな江戸時代で描いてるけど、君は現代の人なんだから別にバイクの若者が、お姫様後ろに乗っけて出てきたっていいんじゃないの」みたいなことを言ってくださって、それ面白いんじゃないかなって思ったんです。卒業制作の『深山寺参詣圖』という作品では、根を同じくするものが 1 本の幹の上に層として重なっているあり方が良いという気持ちを込めて、下から建築様式が古く重なっています。そうすると、それぞれの時代の人が入り込み、時代のずれによる違和感が生まれます。その違和感が面白いと感じました。昔の人が昔のことを知っているかって言うと歴史考証と言うものは、現代の方が意外としっかりしています。江戸時代の書物を見ると、平安初期の人間が十二単着ていたり、奈良の人間が着流しで歩いていたりと、時代錯誤と言いますか、間違いがあったりする時に、間違うことによる奇妙さや面白さがあることを知って、現代の私がもう一度やってみています。

『深山寺参詣圖』、カンヴァスに油彩、1994(卒業制作)撮影:宮島径
所蔵:群馬県立館林美術館
©︎YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

Q.時代が違う人々を同じ画面に描く時に意識していることは何ですか?

場所を描くと、場所が導く行動っていうのがあります。それを取らせるようにしていて、人同士の関係や距離も、場所ありきで描いていくと、人の行動がそれに付随して想起されて、それを描く感じです。後はギャグとか駄洒落を入れてしまうのは性分ですね。それから、あちこちから切り貼りした感じではなく、そこに居る人達をスケッチした様な収まりになるよう意識しています。その上で一緒にいて、時代的な隔たりが違和感になれば良くて、その辺の違和感をどこに持たせるかは、生理的に判断されていて「これは嫌だな、嘘くさいんじゃないか」みたいな取り合わせっていうのは自然と弾かれます。私の作品は星座みたいなもので、星がある場所は全然違っていても一度に見えています。作品も同じで、一枚に見えても出自は全然違う。その隔たりを描いた方が、きちんとした距離になるんです。わりとその空想の風景風なんですが、実は現代のトレースにもなっていて、ちょっとその塩梅を、変えてそれぞれに距離を当てはめて描いています。

共生に必要な距離とは

Q.山口さんにとってコミュニケーションとはどのようなものですか。

作品を描いていてどうしようと思った時はまず絵を眺めます。自分を明け渡し、絵を主体に考え、作品の中にすでに引かれているレールのようなものを見つけます。人と話すことは好きですが、制作の途中ではあまり意見を求めませんね。人に言われると「そうなのかな」と影響を受けてしまうので今は絵に聞く時なのか、人に聞く時なのかを大切にしています。また言葉は作品を説明して終わるものではなく、新しい考えを生み出すきっかけになるものだと考えています。そして人とのコミュニケーションでは、知ることと相手との適切な距離を保つことが大切です。世の中の常識に当てはめて一般化するのではなく、この人はこういう人だと受け止めること。一般化せず一人ひとりに対して個別解を用意すること、人をコントロールしようとしないことが共生には必要だと思っています。

(インタビュー:2026年6月)

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