ネパールで空手を始めて、日本で指導者に!

法政大学

ネパールで空手を始めて、日本で指導者に!

PEOPLEこの人に取材しました!

ルペシ・ダンゴルさん

極真会館西新井支部

1970年代、治安の悪化のためネパールで法律として禁止されていた空手を、強くなりたいという気持ちで隠れて練習していたダンゴルさん。当時のネパールではできなかった黒帯獲得のために来日し、その熱意を見込まれ西新井道場の先生に。日本特有の礼儀や上下関係などが多い空手に、どのように向き合ってきたかインタビューを行いました。

空手を始めたきっかけ

Q:なぜ日本に来て働くことを決めたんですか?

自分はネパール出身なのですが、1970年代は治安が悪くて、毎日街で喧嘩があるような環境でした。なので強くなりたい、人に負けたくないという気持ちがあって格闘技をやりたかったのですが、当時の政府は空手などの格闘技を禁止していて、ボクシングだけが許されていました。なので最初はボクシングを始めました。

でも当時格闘技といえば柔道か空手でした。映画とかブルースリーなどに憧れていて、本当は空手をやりたかったんです。当時警察官は格闘技を習うことを許されていました。なので街を守るために同級生や近所の仲間たちと、お金を払って、柔道や空手をやっている警察官に内緒で地元まで来てもらい、空手を習っていました。政府に見つかれば捕まるような状況でしたが、それでも強くなりたい気持ちの方が強かったです。みんなもそうしてました。

その後1982年頃、政府が格闘技を習うことを認めてくれて、国民スポーツセンターで極真空手*が始まりました。希望者はすごく多くて500人以上いました。面接なども行われて、250人ほどが選抜されました。その中に自分も入り、本格的に極真空手を始めました。

* フルコンタクトの空手

ネパールの道場の仲間たちと

当時ネパールの政府が国民に反抗されることを防ぐために、格闘技は許されていなかったのですが、逆に私たちの好奇心を強くしました。親も格闘技が好きで、自分にもやらせたいと思っていたので、応援してくれました。

屋外で行われていたネパールでの空手の試合

日本に来たきっかけと生活

ネパールでの空手の稽古は毎日朝と夜の2回あり、朝5時に起きて稽古して大学へ行き、また夕方稽古して…という生活を続けていました。すごくたくさん稽古をしました。その中で先生に認められ、指導も任されるようになりました。

今の極真会館の最高顧問の先生がネパールに来た時、「自分のところで内弟子**をやらないか」と誘われたんです。当時ネパールでは黒帯が取れず、日本に行かないと取得できませんでした。空手をやるからには茶帯で終わらず黒帯がほしい。当時通っていたネパールの大学を休学して、1986年に来日し、1年間の稽古で帰国する予定で内弟子になりました。

最初の1年は言葉もわからず大変でした。でも生活自体に困ることはありませんでした。内弟子だったので24時間道場で寝泊まりし、稽古して食べて、また稽古して…という生活で相撲部屋のようなものです。辛くても痛くても帰ってそのまま生活するだけで、空手だらけの生活です。そうして稽古して黒帯を取得しました。その後帰国してネパールで空手の指導をするつもりで準備していたところ、師範に「もう1年やってみないか」と言われました。確かにネパールにいるより日本にいた方が勉強できると思いました。ネパールの大学のことは忘れました(笑)。そのままあと1年、あと1年と延長し、気づけば40年日本にいます。今は西新井道場で指導して24年目です。

** 師匠の家に住み込んで手伝いなどをしながら、修行をすること

空手の礼儀や上下関係について

ネパールでも年上に対して態度で敬意を示す文化はありますが、日本ほど厳しくありません。特に挨拶ですね。例えば、ネパールでは態度で示せばもう挨拶として認められるんですけど、日本では挨拶の言葉の細かいところも気をつけないといけないですね。そういう細かい礼儀作法は先輩たちから厳しく教わりました。納得できないことが全くなかったわけではありませんが、「この世界にいるなら自分に埋め込むしかない」と思って受け入れました。空手を続けるために必要なことだと感じていました。

本場日本で外国人指導者として教えることへのプレッシャー

最初は多少のプレッシャーはありましたが、自分が身体で覚えてきたことを教えるだけなので、そこまで大きな不安はありませんでした。ネパールで指導していた時とは方法が違いますし、日本語が完璧じゃないという壁もありましたけど、自分がやってきたことを教えていました。

当時指導していたのは高校生以上の大人がほとんどでしたが、今は9割が子供で教え方も変わってきています。やっぱり言葉の壁はあっても、身体を使って伝えることで理解してもらえると思っています。

日本の空手の大会で審判をするダンゴルさん

外国人の指導者として、日本で指導をして大変なこと・やりがい

特に外国人だからとかはないですね。普通にできるように教えるだけです。やりがいとしては、自分が教えた子供たちが強くなったり、成長した姿を見ると、とても嬉しいです。以前、自分が指導した生徒が東京オリンピックのボクシング日本代表になったことは、本当に誇りです。

大変だったことは、同じ内容を教えても、人によって理解が違うので、全員に伝わるように工夫する点です。

自分の行動力や、外国人であることを言い訳としない強いメンタルが育った理由は、生まれ育った当時のネパールの環境や、自分自身の性質、また極真空手の全てが影響していると思います。また、大山総裁(極真空手の創始者)の言葉が心に染み込み、支えになっています。

西新井道場での稽古の様子

ネパールにいる家族について

年に1回はネパールに帰り、両親に会っています。日本に行くと言ったとき、両親は大賛成でした。当時のネパールでは日本はすごく良い国だと思われていて、“日本に行く=良いことをしに行く”というイメージでした。しかし私も両親も、当時日本人はみんな空手をやっていると思っていたので、来日した時にほとんどの日本人が空手をやったことがなくてびっくりしましたね(笑)。

ただ、親と離れて暮らすことについては、今になって少し後悔する気持ちもあります。

これからの夢

特に具体的な夢はありません。自分の人生は空手一筋でした。昔は強くなりたいとか大会で勝ちたいとか思っていましたけど、今はもう年齢的に大会に出ることはなくなりましたし。今は生徒たちが強くなり、社会に貢献できる立派な大人になってくれることが願いです。技術だけでなく、人間として成長して社会に貢献できるようになってほしいと思っています。毎日を無事に過ごすこと、それが自分の目標です。

 

(インタビュー:2025年11月)

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