移住のきっかけ
Q:ニュージーランドに移住したきっかけは何ですか?
最初はワーキングホリデー(以下、ワーホリ)で来たんですね。英語の勉強とニュージーランドの文化を経験したくて。最初は1年で帰るつもりだったけど、ニュージーランド、クライストチャーチがすごく好きになって、来て2ヵ月ぐらいでできるなら移住したいと思うようになったんですよね。
そのときは、オーストラリアのお土産さんで働いていました。オーナーは韓国人だから、ミーティングとかキウイの人たちが来るときは英語を使っていたけど、日本人観光客が来店することも多くて、英語力はあまり上達しなかったです。でもそのあとモバイルペインティングの仕事をしている友だちのところで働いたときに英語力が伸びました。
ワーホリの仕事では、マオリ文化を経験するチャンスがなかったけど、一度、パートタイムでバイブルスクールに行ったときに、マラエに行ってハカを見せてもらったりしましたね。

バリスタの経験
Q:バリスタになったのはいつで、何がきっかけですか?
きっかけは永住権がとれたことでした。永住権があればどんな仕事でもできるんです。日本でホテルの仕事をしていたこともあって、カスタマーサービスならわかるから、レストランにしようかなあと思って探していました。そのとき、コーヒーカルチャー(地元のカフェフランチャイズ)が店員を10人募集していたんですね。それで応募したら雇ってもらえることになりました。最初は、お皿洗いとかで、マシンを触ることもなかったけど、マネージャーやヘッドバリスタだった人がすごくいい人で本当によくしてくれて、信頼してくれたんです。「ヒデ、いつも頑張って働いてるから、ちょっと教えてやろうか」って言ってくれて、そこからトレーニングしてもらいました。
バリスタになってから実力がどれくらいなのかを知りたくて大会に出ました。真ん中ぐらいかなと思っていたら、サウスアイランドで3位になりました。自分が思っていたよりも上で、この辺で終わってもいいんじゃないかと思ったりもしたのですが、審査員の一人がわざわざカフェまで来てくれて、「ニュージーランドのチャンピオンになれるポテンシャルがあるから、来年もチャレンジしてください」と。このことばにすごく励まされて、頑張ろうと思いましたね。これが2006年でした。そのあと、真剣にやって毎年出ました。2位か3位が続いて、2011年に1位になりました。5年かかったけど、楽しかったですね。それに毎年トップ3に入るようになると、みんなが知ってくれるんですね。バリスタという仕事を真剣に考えているし、スキルもあるって、認めてもらったのがすごく嬉しかったですね。
でも、自分のお店をもちたいとは思わないです。コーヒーを作る、新しいバリスタを育成するのがいいですね。

Q:ニュージーランドに移住したい日本人にアドバイスはありますか?
自分の経験でいうと、いちばんいいのは、心の底から「いいな」「好きだな」と思えることだけど、「郷に入れば郷に従え」っていうことばがあるように、ニュージーランドのやり方や考え方があるから、多少違っても、自分が合わせていくようにしないとって思います。日本ではこうだとか、違うからっていうことになると、楽しめないんだろうなって思うんです。
日本での生活は遊園地やアーケードなどのエンターテインメントで溢れています。だからこっちにきて、つまならないって言っているのをよく聞くんだけど、エンターテイメントは自分でみつけなさい、と言いたいです。例えば、アウトドア。フィッシングを始めているのもいいし、楽器をやるのもいい。日本では、楽器はうるさいって言われてできないけど、こっちだとできるから。ニュージーランドの中で楽しめるようなことを「何があるかな」って、探せる気持ちが持てればいいなと思います。
私も、フィッシングはこっちに来てから始めました。スキーとかスノーボードとかやります。それから、ギターとドラム。ドラムは日本ではできないですよ。
Q:バリスタになりたい人にアドバイスはありますか?
この質問はよく受けるんだけど、愛される人になりなさいっていうことが一番のアドバイスかなと思います。経験とかスキルはあとからついてくるから、まずは可愛がられることが必要。日本人はしゃべらないで黙々とやるのが美徳のように感じる人がいるけど、それだとやる気があるのかわからないし、楽しんでいるのかどうかもわからない。自分を出してフレンドリーになってやっていけば、自然と道は開かれていくと思います。
コミュニティーとのつながり
Q:ヒデさんは周りのコミュニティとどうやってつながっていますか?
私の場合は、まずホストファミリーに教会に連れていってもらって、そこから友だちができました。特に地元の教会の英会話教室でインターナショナルな友だちができましたね。語学学校だけだったら、みんな留学生だから、なかなか横に広がらなくて難しかったかなと思います。教会のコミュニティは大きかったですね。

(インタビュー:2025年4月)